大きな苦難までの備忘録

気楽に更新してます( ´ ▽ ` )ノ

最初から完全体でない事に価値がある

不完全は確かに辛い(o´д`o)=3

仕事であれ何であれ、必ず間違いを起こす。失敗から学んだ筈が、又間違うミスや同じミスをする。

これが完全体ならと思う時もあるが、最初から完全体より、不完全から完全体になる方が、謙虚、憐れみに更なる深みを増すとは思う。

最初から自転車に乗れたなら、その過程が如何に練習を要するのか?多分、分からないであろうし、それを実際に体験出来るのは、不完全ならではかと。

最初の人間アダムとエバが、騙されて罪を犯した。その罪をヤハウェがロゴスをつかわし。キリスト(メシア)として十字架で勝利の死を遂げた事で許された。

しかしながら、父なる神ヤハウェに感謝するどころか、キリスト死没から2千年以上経過した今の世界は。。。

本来ならヤハウェは、14万4千人をユダヤ人で構成したかったが叶わず。この件に関しては、リンク先の動画で詳しく述べられています。

https://youtu.be/j9SbuuIEF1c

不完全を実際に経験してから、完全体になる事は御使達にはない事。

また騙された者も悪いが、騙した者は1番悪い。なら騙したのは元ケルブであるルシファーであり、堕天使の多さを考えると、御使への罰は、ヤハウェの御座そのものには入れない、入る事が出来るのは、元人間であった14万4千人であり、御使をも裁く権利が与えられる。

そう考える事が出来るかもしれません。

 

"「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
あなたがたは、もし喜んで聞こうとするなら、この地の良い物を食べることができる。
しかし、もし拒んで背くなら、剣に食い尽くされる。──主の御口がそう語られる。」"
イザヤ書 1章18~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会